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零 from the muses のドラマーLIMEが サブカルチャーを通じて、自らの脳内をさらけ出す
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『ファニーゲーム』
1997年 オーストリア
2001年 日本公開
監督:ミヒャエル・ハネケ

最近『カタルシス』という言葉をが一般的によく使われるようになった。『カタルシスがある映画』『カタルシスがない映画』というのをよく耳にするし、記事でも目にするのだけれど、『カタルシスがある映画』というのは救いのある映画で、『カタルシスがない映画』というのは救いのない映画を指していることが多いようです。ただ俺の思う『カタルシス』は映画を見終わった後に感じる解放感であって、自分なりに色々と思考を巡らせて生じるもの。映画の中で救われるのは、自分のカタルシスではなくて、映画の中の世界でのカタルシスであると思う。つまりは『救いのない映画』こそが『カタルシスのある映画』であるのだと思うのです(実際にそういう使い方をしているライターさんもいますしね)。勿論『救いのある映画』にも、とても気持ちのいい、擬似的なカタルシスを感じさせてくれるものがあるので、これらをカタルシスがないとは言い切れない。俺なりにカタルシスをという言葉を纏めてみると『救いのある映画』は『カタルシスを感じさせてくれる映画』『救いのない映画』は『カタルシスを感じる映画』ということ。では、『カタルシスがない映画』とはなんなのか。それが正に今回紹介する『ファニーゲーム』であると言いたいのです。映画の概要を簡単に説明すると、とある家族の家へ卵を分けに貰いに来た二人の青年が実は殺人鬼で…という話なのだけれど、いわゆるサスペンスやホラーと決定的に違うのが、妙なリアル感。過剰な演出が一切ない。ふつうならこれ見よがしに見せる残虐なシーンはも全てフレームの外でしかやらない。それが想像力を駆り立て、より恐怖と絶望感を与える。しかしそれだけではカタルシスがないとは言えない。何を持ってカタルシスがないと言うのか。それは見終わった後にはっきりと感じることができる。この映画のレビューを様々なところで見ると、評価が真っ二つに分かれているのが分かる。しかし面白いことに、評価の良い人と悪い人のレビューの内容が同じだったりするのです。口を揃えて言われているのは『不快な映画である』ということ。見終わった後に、解放感云々の問題ではないのです。ただただ不快。先に『妙なリアル感』と書いたのですが、実は劇中には『これは所詮映画に過ぎない』ということを見せているような演出も盛り込まれており、その意図に気付けるかどうかでこの映画の評価も大分変わってくると思うのですが、どちらにしろ不快には違いないのです。沢山の映画を観てきて、これ程までにカタルシスを感じなかった『救いのない映画』は初めてです。ブログを初めて最初のレビューが、まさかの『お奨め出来ない映画』になるとは、なんとも俺らしいのかもしれませんが、本当にお奨め出来ません。沈むとこまで沈みたい人は観てもいいかもしれません。ただ、映画としてのクオリティはかなり高く、感心させられるので、映画好きを語るのであれば観ておくべき一本ではあると思います。不思議なことに、観終わった後には『もう観たくない』と思うのだけど、暫くすると『もう一回観てみようかな』と思ってしまうのは、某大盛ラーメン店と同じなのかも?想像以上に長文になりましたが、次回は楽しい作品でも紹介しましょうかね。
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